提示された年収が妥当かどうかは、給与テーブルが非公開でも確かめられます。確かめる対象を「テーブルそのもの」から、提示額の内訳・同条件の市場レンジ・等級と役割の対応・昇給の実績という4つへ置き換えるだけです。
テーブルを見せてもらえないことを理由に判断を止めると、結局は提示された数字を丸ごと信じるか、根拠なく不安がるかの二択になります。どちらも避けられます。
給与テーブルが非公開でも、判断材料は4つ残る
結論から言えば、給与テーブルは妥当性を確かめるための唯一の材料ではありません。テーブルが示しているのは「社内での位置づけ」だけで、その位置づけが外の市場と釣り合っているかは、テーブルを見ても分からないからです。
実際、テーブルを開示している会社であっても、そこに書かれているのは等級ごとの金額の幅だけです。自分がどの等級に置かれるのか、その等級が他社の何に当たるのかは別に確認する必要があります。つまりテーブルの開示は判断の一部を楽にするだけで、非公開だからといって判断できなくなるわけではありません。
そこで、確かめる対象を次の4つに分けます。提示額を所定内給与まで分解すること、同条件の市場レンジと突き合わせること、提示された等級と役割の対応を聞くこと、昇給が実際に起きているかを制度の側から見ること。この4つが揃えば、テーブルを見なくても提示額がどのあたりにあるかは絞り込めます。
ただし例外もあります。従業員数が少なく、報酬をその都度の個別交渉で決めている会社では、そもそも等級という概念が薄いことがあります。この場合は等級の質問が空振りするので、後述するように「判定者と判定時期」へ質問を切り替えてください。
手順1:提示額を所定内給与まで分解する
最初にやるのは、提示された総額を所定内給与まで分解することです。総額のままでは他社とも市場レンジとも比べられません。比べられない数字をいくら眺めても、妥当性の判断は進みません。
分解が必要になるのは、提示年収に含まれる要素が会社ごとに違うからです。基本給だけの会社もあれば、固定残業代、住宅手当、賞与の見込み額まで含めて提示する会社もあります。同じ金額でも中身が違えば、実際に毎月確定して入る額は変わります。
具体的には、提示額を次の4つへ割ります。基本給、固定手当(固定残業代を含む)、変動する賞与、入社時の一時金です。このうち確定しているのは前の2つだけで、後ろの2つは業績や評価で動きます。固定残業代が含まれている場合の実質時給への換算は、みなし残業と実質時給の見方で扱っています。
注意したいのは、賞与の見込み額を提示年収に含める会社が珍しくないことです。初年度は賞与の算定期間が足りず満額にならないことも多く、提示年収と最初の1年の受取額は一致しません。入社月によってどう変わるかは入社月と賞与の算定期間にまとめました。
手順2:同条件の市場レンジと突き合わせる
分解できたら、同じ条件の市場レンジと突き合わせます。ここで使ってはいけないのが、職種全体の平均です。ITエンジニア全体の平均年収は 469万円 ですが、この数字には未経験も10年以上も、東京もそれ以外も混ざっています。自分の条件を説明する数字にはなりません。
条件を揃えると、提示額が下端なのか上端なのかが見えます。実務3〜5年・東京勤務・スキル中位という条件を固定し、企業タイプだけを変えるとこうなります。
| 企業タイプ | 推定レンジ | レンジの図 |
|---|---|---|
| メガベンチャー・外資 | 604〜709万円 | |
| 上場・大手 | 531〜624万円 | |
| 中小の受託・SIer | 459〜539万円 | |
| スタートアップ | 483〜567万円 | |
| SES | 411〜482万円 |
この表の読み方には注意が必要です。行ごとの幅は「同じ企業タイプの中でも上下がある」ことを表していて、提示額がどの行のどのあたりに入るかを見るための目安です。応募先が表のどの行に当たるかを決めるのは事業の構造で、提示額の交渉では行をまたげません。企業タイプごとの差の理由は企業タイプ別の年収相場で扱っています。
また、この表は転職市場で動く金額のモデルであり、社内の給与テーブルそのものではありません。長く在籍している社員の年収が、同じ会社の中途採用の提示額より低いことは普通にあります。表と提示額がずれていても、それだけでは会社の水準が低いとは言い切れません。
スキルの水準だけでも動きます。同じ実務3〜5年・東京・上場企業の枠内で、スキル下位なら 491〜576万円、スキル上位なら 602〜707万円 です。提示額がレンジの下端にあるとき、それが会社の水準の問題なのか、自分の評価の問題なのかは分けて考える必要があります。
手順3:提示された等級と役割の対応を確かめる
3つ目は、提示された等級と、その等級に期待される役割の対応を確かめることです。金額そのものより、この対応のほうが入社後の伸びを決めます。同じ金額でも、上位等級の下端に置かれた場合と、下位等級の上端に置かれた場合とでは、次の1年で起きることが違うからです。
理由は単純で、等級内の上端に置かれた人は、昇格しないかぎり上がる幅がほとんど残っていないからです。逆に上位等級の下端なら、等級の中で評価が上がるだけで金額が動きます。提示額が同じでも、後者のほうが翌年以降の見通しは良くなります。等級制度の仕組みは等級・グレード制度と昇格で詳しく扱っています。
具体的な聞き方としては、「提示いただいた条件は社内のどの等級に当たりますか」「その等級で期待される役割を教えてください」「等級内の位置づけとしては下のほうでしょうか、上のほうでしょうか」の3つを順に聞きます。テーブルの金額は答えられなくても、等級名と期待役割はたいていの会社が答えられます。
例外として、等級を公開していない会社や、等級自体を運用していない会社もあります。その場合は「この役割で入った人が、次に責任範囲を広げるのはどういうタイミングですか」と聞き方を変えてください。制度の名前ではなく運用の実態を聞けば、答えは返ってきます。
手順4:昇給とベースアップの実績を制度側から見る
4つ目は、昇給が実際に起きているかを制度の側から確かめることです。提示額が市場レンジの中ほどでも、昇給がほとんど動かない会社なら、数年後の位置は下端へ落ちていきます。逆に提示額が少し低くても、定期昇給とベースアップが両方動いている会社なら、差は縮まります。
情報通信業では、定期昇給制度がある企業の割合は 89.6%、実際に定期昇給を実施した企業の割合は 86.2% です。制度があることと、実施されることは別に数えられています。さらにベースアップまで実施した企業の割合は 52.1% で、定期昇給に比べると半分ほどの水準にとどまります。
| 指標(情報通信業) | 値 |
|---|---|
| 1人平均賃金を引き上げた企業の割合 | 97.4% |
| 1人平均賃金の改定率 | 3.9% |
| 定期昇給を実施した企業の割合 | 86.2% |
| ベースアップを実施した企業の割合 | 52.1% |
| 昇給の内容が業績評価などの企業の割合 | 85.9% |
この表は業界全体の集計なので、応募先1社の昇給がこの水準になるという意味ではありません。使い方は、面談で聞いた回答をこの水準と比べることです。たとえば「昇給は毎年ありますが、ベースアップは実施していません」という回答は、業界の分布から見れば珍しくない状態だと分かります。一方で「ここ数年、昇給は個別判断です」という回答は、制度としての定期昇給がない側に寄っていると読めます。
あわせて、昇給の中身が何で決まるかも確認します。昇給の内容が業績評価などである企業の割合は 85.9% で、評価と昇給が結びついている会社が多数派です。評価制度の運用が緩い会社では、この結びつきが実際には働きません。給与明細から定期昇給とベースアップを見分ける方法は給与明細で昇給とベースアップを見分けるにあります。
手順5:内訳を書面で受け取ってから判断する
最後に、確認した内容を書面で受け取ります。ここまでの4手順で集めた情報が口頭のままだと、入社後に認識が食い違ったときに戻る場所がありません。提示年収、その内訳、等級、入社日、次に評価される時期。この5点が書面に揃っているかを見ます。
書面を求めるのが妥当なのは、採用担当者と現場と決裁者が別人であることが多いからです。悪意がなくても、口頭のやり取りは伝言の途中で形が変わります。オファーレターや労働条件通知書に落ちた内容だけが、全員が同じものを見ている状態です。
具体的には、受け取った書面と、面談で聞いた内容を並べて突き合わせます。固定残業代の時間数が書面にあるか、賞与が「業績により変動」と条件付きで書かれているか、等級の記載があるか。面談で聞いた話が書面にないなら、それは確定していない部分だと扱います。オファー面談での確認事項はオファー面談で確認することにまとめています。
注意点として、書面に書けないことを会社が隠しているとは限りません。賞与のように本当に変動する要素は、確定的に書けないほうが正常です。問題は、変動するものを確定しているかのように口頭で説明される場合です。書面と口頭の差が出たら、書面の側を判断の基準にしてください。
面談で使う質問の型
質問は、金額を直接押すのではなく、金額が決まる仕組みを聞く形にすると答えが返りやすくなります。給与テーブルが非公開でも、仕組みの説明は禁止されていないことがほとんどだからです。
次の順で聞くと、相手が社内で答えを確認しやすくなります。
- 提示いただいた条件は、社内ではどの等級に当たりますか
- その等級で期待される役割と、判断を任される範囲を教えてください
- 等級の中での位置づけは、下のほうと上のほうのどちらになりますか
- 等級が次に判定されるのはいつで、誰が判定しますか
- 直近で、この等級から上の等級へ上がった人はいますか
1から3が現在地の確認、4と5が伸びしろの確認です。5つとも金額を聞いていない点が重要で、金額ではなく制度と実績を聞いているため、条件交渉ではなく役割理解の質問として扱われます。選考の途中でも聞ける形になっています。
答えが返ってこない質問があった場合、それ自体が情報です。特に4と5に答えられない会社では、昇給の運用が個別判断になっている可能性があります。選考の早い段階で聞く方法はカジュアル面談で年収と等級をどこまで確認できるかで扱っています。
会社が答えられる範囲と、答えられない範囲
会社側にも答えられない事情があります。この線引きを知っておくと、無駄に不信感を持たずに済みます。
答えられないことが多いのは、等級ごとの具体的な金額、他の社員の年収、自分と同じ等級にいる人の人数といった、個人の処遇の推測につながる情報です。これらは社内の公平性の問題に直結するため、開示しない方針を取る会社が一般的です。
一方で、等級の数、等級ごとの期待役割、評価のサイクル、昇給の判定時期、昇格の決裁者といった制度の骨格は、答えられる会社が多くあります。入社後に説明される内容を前倒しで聞いているだけなので、断る理由が薄いからです。聞いて断られたら引き下がり、聞かずに諦めないのがちょうどよい距離感です。
ただし、制度の骨格すら「入社後に説明します」で止まる場合は、別の意味を持ちます。制度が整備されていないか、説明できる担当者が採用に関わっていないかのどちらかです。前者なら昇給の見込みを差し引いて判断し、後者なら現場の面接官にもう一度聞いてみる価値があります。
「テーブルはあるが非公開」と「テーブルがない」は別物
同じ「見せられません」でも、テーブルがあって非公開なのか、そもそもテーブルがないのかで、判断の仕方が変わります。この2つを混同すると、対策を間違えます。
テーブルがあって非公開の場合、金額は制度に沿って決まっています。つまり提示額は担当者の裁量で大きく動かせない代わりに、入社後の昇給も制度に沿って進みます。この場合に確かめるべきは、自分がテーブルのどこに置かれたかです。等級と等級内の位置づけを聞けば、必要な情報は取れます。
テーブルがない場合、金額は個別の判断で決まっています。提示額を動かせる余地は相対的に大きい一方、入社後の昇給も個別判断になります。この場合に確かめるのは、誰がいつ判断するかです。判定者と判定時期が決まっていない会社では、昇給を見込んだ受け入れ判断はしないほうが安全です。
見分け方としては、「等級」という言葉を相手が自然に使うかどうかが分かりやすい手がかりになります。等級の名称がすぐ出てくるならテーブルがある側、「役割で見ています」「ケースバイケースです」という説明が続くならない側に寄っています。どちらが良い悪いではなく、確認する対象を切り替えるための分岐です。
確かめずに受けたときに起きること
確かめずに受けると、入社後に3つの形でずれが表面化します。よくある失敗の形を知っておくと、どこを確認すべきかが具体的になります。
1つ目は、提示年収に賞与の見込みが含まれていたケースです。初年度は算定期間が足りず、実際の受取額が提示額を下回ります。転職前の年収と比べて下がったように見え、しかも会社の説明は「提示どおり」なので、話が噛み合いません。これは手順1の分解で防げます。
2つ目は、等級の上端で入社してしまったケースです。金額そのものは市場レンジの中ほどでも、昇格しないかぎり上がらない位置に置かれています。1年目の評価が良くても金額が動かず、理由の説明もないまま2年目を迎えることになります。これは手順3で位置づけを聞けば事前に分かります。
3つ目は、昇給の運用が止まっている会社に入ったケースです。制度の書類上は定期昇給があるのに、実際には数年動いていない。こうなると、提示額はそのまま数年後の年収になります。手順4で、制度の有無ではなく実施の実績を聞いておく意味はここにあります。
いずれも、入社してから交渉で取り返すのは難しい部類です。転職で年収が増加した人の割合は 60.4%、増加した人の平均増加額は 73.1万円 というデータがありますが、これは転職という移動が起きたときの数字であり、同じ会社にとどまったまま同じ幅が動くわけではありません。移動の前に確かめるほうが、確かめる価値は高くなります。
妥当だと判断してよい条件
最後に、どこまで揃えば「妥当」と判断してよいかを整理します。全部が完璧に揃う会社はまれなので、判断の基準を持っておくほうが現実的です。
次の4つが揃っていれば、提示額を受け入れる判断をしてよい水準です。
- 提示額の内訳が書面で分かり、確定している部分と変動する部分が分けられている
- 同条件の市場レンジと比べて、極端な下振れではない位置にいる
- 提示された等級と、期待される役割の説明が一致している
- 昇給の判定時期と判定者が決まっており、直近で昇格した人の例が聞けた
逆に、内訳が最後まで書面にならない、等級の説明が人によって変わる、昇給の判定時期が答えられない、のいずれかが残る場合は、提示額そのものが妥当でも判断を急がないほうが安全です。提示額は入り口の1点にすぎず、そこから数年どう動くかのほうが生涯の受取額には効きます。
なお、条件が揃わないことと、その会社が悪いことはイコールではありません。設立して間もない会社や、事業が急に伸びた会社では、制度の整備が追いついていないだけの場合があります。その場合は「制度が未整備である前提で、現時点の確定額だけで判断する」という受け止め方ができます。見込みを足さずに判断すれば、あとでずれません。
まとめ
- 給与テーブルが非公開でも、内訳の分解・同条件レンジとの比較・等級と役割の対応・昇給の実績の4つで妥当性は詰められる
- 金額を直接押すのではなく、金額が決まる仕組みを聞く。等級名、期待役割、等級内の位置づけ、判定時期、昇格の実例の5点が型になる
- 口頭で確認した内容は確定条件として数えない。提示額・内訳・等級・入社日・次の評価時期が書面に揃ってから判断する