昇給の通知を見て金額が想像より小さかったとき、理由は2つに分かれます。会社に配る原資がないのか、原資はあるのに自分に配られていないのか。 この2つは対処がまったく違うのに、通知された金額だけを見ていてはどちらなのか分かりません。

決算の数字は、このうち前者を切り分けるために使えます。会社が生んだ価値のうちどれだけを人件費に回しているか、その比率が数年でどう動いたかを見れば、原資の側に説明がつくのかどうかが判断できます。この記事では、見る数字、計算の仕方、業界の水準との並べ方、そして決算からは読めないことまでを順に扱います。

なお、ここで扱うのは自分の処遇を判断するための読み方です。株式の売買を判断するための分析ではありません。

昇給が小さいのは「原資がない」か「配られていない」か

結論から言うと、先に切り分けるべきは原資の有無です。原資がない会社で評価や交渉の努力を重ねても、動く幅はほとんどありません。逆に原資があるのに配られていないなら、動くのは評価制度と自分の等級の側です。

この順番で見る理由は、賃金の改定が会社全体の予算から始まるためです。多くの会社は、期の業績見通しから賃金改定の総額を決め、それを部門と等級に割り振り、最後に個人の評価で差をつけます。個人の評価が決まるのは最後の工程なので、総額が小さければ、評価が高くても金額は伸びません。

たとえば評価が最上位だったのに昇給額が前年と変わらなかった、という状況は、評価が反映されていないのではなく、改定の総額そのものが前年より小さかった結果として起こります。この区別がつかないまま「評価されていない」と判断すると、本来は会社を変える問題を自分の努力の問題として扱うことになります。

ただし原資の有無だけで全部が説明できるわけではありません。原資が十分にあっても、配分の方針が一律寄りなら個人差はつきませんし、評価の分布に枠がある会社では上位の人数が制限されます。配分の仕組みについては賃上げの原資が一律配分か評価配分かで自分の昇給額はどう変わるかで扱っています。

まず自分の昇給額を業界の改定率と並べる

決算を開く前に、1つだけ先にやっておくことがあります。自分の昇給額を月額に直し、業界の改定率と並べることです。これをやっておくと、決算を読むときに「何を説明したいのか」がはっきりします。

厚生労働省の調査では、令和7年の1人平均賃金の改定率は全産業で 4.4%、情報通信業では 3.9% でした。情報通信業の改定額は月額で 14,096円/月 です。自分の昇給が月額ベースでこれを大きく下回っているなら、理由を探す意味があります。

指標 令和7年の値
1人平均賃金の改定率(全産業) 4.4%
1人平均賃金の改定率(情報通信業) 3.9%
1人平均賃金の改定額(情報通信業) 14,096円/月
賃金を引き上げた企業の割合(情報通信業) 97.4%

この表の読み方には注意が必要です。改定率は企業ごとの1人平均を集計した値で、個人の昇給額の分布ではありません。同じ会社の中でも等級や評価によって差がつくため、自分の昇給が改定率を下回っていること自体は異常ではありません。見るべきは、下回っている幅が説明できるかどうかです。

また、引き上げた企業の割合が 97.4% という水準である点も重要です。引き上げそのものは多くの会社が行っているため、「うちも賃上げした」という説明は、それだけでは何の情報にもなりません。

決算で見る3つの数字

見るのは3つだけです。人件費、従業員数、付加価値です。この3つが数期分そろえば、昇給余力の話はおおむねできます。

人件費を単独で見ても意味がない理由は、従業員数が動くためです。人件費の総額が前期より増えていても、採用で人が増えていれば1人あたりは減っていることがあります。昇給の話をするときに知りたいのは総額ではなく1人あたりなので、必ず従業員数で割ります。

付加価値を見るのは、1人あたりの人件費が増えたかどうかだけでは、会社に余力があるのかが分からないためです。会社が生んだ価値そのものが伸びていれば、人件費が増えていても余力は減っていません。逆に価値が伸びていないのに人件費だけ増えていれば、その増加は続きません。

具体的には、次の順で数字を取り出します。

  1. 直近3期から5期分の人件費を並べる(給料手当、賞与、法定福利費、退職給付費用などの合計)
  2. 同じ期の期末従業員数を並べ、人件費を人数で割って1人あたりの人件費を出す
  3. 同じ期の付加価値を同じ算式で計算する
  4. 人件費を付加価値で割って労働分配率を出し、推移を見る
  5. 自分の昇給率が、1人あたり人件費の伸び率とどれだけずれているかを確認する

この手順で分かるのは会社全体の傾向です。部門や職種ごとの配分までは外部の資料からは分かりません。

労働分配率の出し方と読み方

労働分配率は、人件費を付加価値で割った比率です。会社が自力で生んだ価値のうち、どれだけを働く人に回したかを表します。

付加価値の求め方は、営業利益に人件費、減価償却費、賃借料、租税公課、金融費用を足し戻す方式が広く使われています。売上から外部へ支払った分を差し引いた残り、という考え方です。もっと簡便に、売上総利益を分母にして人件費の比率を見る方法もあります。

重要なのは、どの算式を使うかより、同じ算式を使い続けることです。算式は調査主体によって違い、業界平均として出回っている数字がどの定義のものかも分かりません。そのため、この記事では労働分配率の業種別の目安は使いません。自社の数期分を同じ算式で並べ、上がっているのか下がっているのかだけを見ます。

読み方は3通りに整理できます。付加価値が伸びて分配率も維持されているなら、1人あたりの人件費は増えているはずで、自分の昇給が小さいなら配分の問題です。付加価値が伸びているのに分配率が下がっているなら、生んだ価値が人以外に回っています。付加価値そのものが縮んでいるなら、原資の側に説明があり、昇給の話は会社の外を見る検討と結びつきます。

ただし分配率が下がっていることが、必ずしも従業員への還元を絞った結果とは限りません。設備や開発への投資を増やした期、買収やのれん償却がある期、事業構成が変わった期は、分配率だけを見ても解釈できません。1年の変化で結論を出さないでください。

上場企業なら有価証券報告書と決算短信で足りる

上場企業に勤めているなら、必要な数字はほぼ公開されています。有価証券報告書と決算短信の2つで足ります。

有価証券報告書には「従業員の状況」という項目があり、従業員数、平均年齢、平均勤続年数、平均年間給与が載っています。平均年間給与の数期分の推移は、1人あたりの人件費の代わりとしてそのまま使えます。自分の年収がこの平均に対してどの位置にあるかも分かりますが、職種構成と年齢構成が混ざった平均なので、位置の解釈には注意が必要です。

人件費そのものは損益計算書に単独では出てこないことが多く、販売費及び一般管理費の明細や製造原価明細書、注記を見る必要があります。決算説明資料に販管費の内訳が載っている会社もあり、そちらのほうが早く見つかることがあります。

注意点として、連結と単体のどちらを見ているかを必ずそろえてください。連結には子会社が含まれるため、自分が所属する会社の処遇と連動しない動きが混ざります。自分の給与がどの会社の規程で決まっているかを確認し、その会社の数字を追うのが筋です。

非上場の会社で見られる資料

非上場でも手がかりはあります。ただし精度は落ちるので、公開情報と社内資料を組み合わせる前提で考えてください。

株式会社には決算公告の制度があり、官報や自社サイトで貸借対照表を公告している会社があります。損益計算書まで公告している会社は多くないため、人件費の内訳までは取れないことが一般的です。それでも純資産と利益剰余金の推移が分かれば、会社が蓄積しているのか取り崩しているのかという大枠はつかめます。

社内側の材料としては、経営方針説明会や期初のキックオフで示される数字、賃金改定の原資についての説明、給与規程の昇給条項、労働組合があればその交渉資料があります。これらは外部の決算より具体的で、配分の方針まで書かれていることがあります。

ここで一番の情報は、聞いたときに説明が返ってくるかどうかです。賃金改定の原資をどう決めているか、昇給の判定時期と基準は何か、という質問は制度の確認なので聞いて差し支えありません。説明が得られないこと自体が、評価運用の透明性についての判断材料になります。

会社の規模で改定率そのものが違う

自社の昇給が小さいと感じたとき、比較対象を業界平均だけに置くと判断を誤ります。改定率は会社の規模によって差があるためです。

同じ令和7年の調査で、1人平均賃金の改定率は従業員5,000人以上の企業で 5.1%、100〜299人の企業で 3.6% でした。規模が小さい会社に勤めているなら、全産業の改定率を基準にすると自社が低く見えます。

区分 1人平均賃金の改定率
5,000人以上 5.1%
100〜299人 3.6%
情報通信業 3.9%
全産業 4.4%

この表は、自分の昇給額を置く物差しを選ぶために使います。規模の近い区分と業界の区分の両方に対してどうなのかを見れば、自社固有の話なのか、規模から来る構造の話なのかが分かれます。後者であれば、昇給の積み上げでは追いつかず、企業タイプを変える検討のほうが効きます。

ただしこの区分は全産業の集計で、情報通信業の中を規模別に割ったものではありません。目安として使い、断定の根拠にはしないでください。

「賃上げした」の中身は定期昇給とベースアップで違う

会社が賃上げをしたと説明していても、中身は2種類に分かれます。定期昇給とベースアップです。この2つは昇給余力の意味が違います。

情報通信業では、定期昇給制度がある企業の割合が 89.6%、実際に定期昇給を実施した企業が 86.2% でした。一方でベースアップを実施した企業は 52.1% にとどまります。制度として定期昇給を持つ会社は多く、給与テーブル自体を引き上げた会社は半数程度という状態です。

定期昇給は、年齢や勤続、等級の中での号俸の進みに応じて上がる仕組みで、原資の増加がなくても制度として発生します。ベースアップは給与テーブルそのものを動かすため、原資の裏づけが必要です。つまり、ベースアップがない年の「賃上げ」は、会社の余力が増えた結果ではない可能性があります。

自分の昇給がどちらだったかは給与明細から見分けられます。手順は定期昇給とベースアップを給与明細で見分け、昇給額の妥当性を確かめるで扱っています。決算で余力を読む前に、自分の昇給の種類を確かめておくと、比較がずれません。

なお、情報通信業で昇給の内容が業績評価などによる企業の割合は 85.9% です。年功的に自動で上がる設計は少数で、評価が昇給額に効く設計が主流だと読めます。これは、原資があれば評価次第で差がつくという意味でもあります。

余力があるのに昇給が小さいときに起きていること

決算を読んで余力があると分かった場合、原因は配分の側にあります。そして配分の問題は、ほとんどが等級と評価の枠の話です。

よくあるのは、等級レンジの上限に近い位置にいるケースです。等級ごとに給与の下限と上限が決まっている会社では、上限付近にいる人は昇格しない限り大きく上がりません。評価が高くても昇給が小さいなら、評価の問題ではなく等級の問題です。

もう1つは評価の分布に枠があるケースです。上位評価の人数が部門ごとに制限されている場合、同じ成果でも所属によって評価が変わります。この仕組みについては相対評価(評価分布の枠)と絶対評価で昇給額はどう変わるかで整理しています。

そして配分では越えられない差もあります。実務3〜5年・東京勤務・スキル中位という条件を固定し、企業タイプだけを変えるとこうなります。

企業タイプ推定レンジレンジの図
メガベンチャー・外資604〜709万円
上場・大手531〜624万円
中小の受託・SIer459〜539万円
スタートアップ483〜567万円
SES411〜482万円
条件:3〜5年/東京/スキルスコア50。公開統計をもとにした推定であり、実際の年収を保証するものではありません。算出方法

この幅は、会社の中での配分では埋まりません。事業の利益率と商流の深さという構造から来ているためです。自社の余力を読んで「原資はあるが自分には回ってこない」と分かったなら、次に見るのは社内の等級要件と、この表のどの行にいるかの2つです。

読み取った数字を社内でどう使うか

決算から読んだ数字は、そのまま持ち出さないほうが噛み合います。会社の利益率や分配率を根拠に昇給を求めても、昇給を決めている人がその場で動かせる変数ではありません。

動かせるのは、自分の等級と評価と担当範囲です。そのため使い方としては、決算で確かめた事実を自分の中の前提に置き、会話は等級の話に寄せます。原資が増えている年なら「次の等級の要件を満たしているか」を確認する会話が成り立ちますし、原資が縮んでいる年なら、昇給を押すより担当範囲と評価の記録を整える期と割り切る判断ができます。

確認する内容は制度の話に限定します。次の等級の要件は何か、判定の時期はいつか、今期の自分はどの要件を満たしていてどこが足りないか。この3つを文字で確認できれば、昇給額が動かなかった年でも次の手が決まります。言い方や根拠の組み立て方はエンジニアの年収交渉で通る根拠4つにまとめています。

避けたいのは、公開情報を根拠に会社の姿勢を批判する形に持ち込むことです。仮に分配率が下がっていても、投資判断や事業構成の変化が理由であることは珍しくなく、こちらが持っている情報では説明がつかない部分が必ず残ります。

決算から読めないこと

決算で分かるのは会社全体の輪郭だけです。読めないことを先に押さえておくと、過剰な結論を出さずに済みます。

まず、職種別や部門別の配分は読めません。同じ会社の中でも、採用市場で取りにくい職種に原資を厚く配る会社はあります。エンジニアの昇給が小さいのに全体の1人あたり人件費が伸びている、という状態は十分に起こります。

次に、自分個人の評価の位置は読めません。決算から言えるのは原資の上限までで、その中で自分がどこに置かれたかは評価制度の側の情報です。昇給額の内訳を人事や上司に確認しない限り、決算をいくら読んでも埋まりません。

さらに、来期の原資は読めません。決算は過去の結果で、賃金改定の原資は期の業績見通しから決まります。前期が好調でも、見通しが厳しければ改定は抑えられます。公開されている業績予想は手がかりになりますが、そのまま昇給の予測にはなりません。

最後に、賞与と基本給の切り分けも決算からは見えにくいです。人件費の総額が伸びていても、伸びた分が賞与に寄っていれば基本給は動いていません。基本給が動かない昇給は、翌年以降の積み上がりにも退職金の算定にも効きません。

やってはいけない読み方

ここまでの手順には、外しやすい落とし穴がいくつかあります。

  • 1期だけの数字で判断する。投資や一時的な損益で大きく動くため、最低3期は並べる
  • 連結と単体を混ぜて比べる。自分の給与を決めている会社の数字にそろえる
  • 他社の労働分配率と比べる。算式と事業構成が違うため比較にならない
  • 人件費の総額だけを見る。従業員数が増えていれば1人あたりは減っている
  • 業界平均の改定率を自分の昇給の「あるべき額」として扱う。改定率は企業ごとの平均で、個人の分布ではない
  • 余力があることを昇給が約束された根拠として扱う。余力は上限であって配分の決定ではない

このうち特に多いのが最後の2つです。改定率も労働分配率も、自分の昇給額を導く計算式の入力値ではありません。使い道は、自分の昇給額について説明を求める価値があるかどうかを判断することだけです。

確認の手順

実際に手を動かす順番をまとめます。上から順に進めれば、1時間ほどで終わります。

  1. 直近の昇給額を月額に直し、情報通信業の改定額と改定率に並べる
  2. 給与明細で、その昇給が定期昇給かベースアップかを見分ける
  3. 自社が上場なら有価証券報告書の「従業員の状況」から平均年間給与の推移を取る
  4. 人件費と従業員数を3期以上並べ、1人あたりの人件費の伸び率を出す
  5. 同じ算式で付加価値を計算し、労働分配率の推移を見る
  6. 自分の昇給率と1人あたり人件費の伸び率を比べ、ずれの方向を確認する
  7. ずれが配分側にあるなら、次の等級の要件と判定時期を社内で確認する
  8. ずれが原資側にあるなら、規模と企業タイプの区分を踏まえて外の条件も並べる

非上場の場合は3から5の代わりに、決算公告の貸借対照表と社内で示される数字を使います。精度は落ちますが、2と7は同じように進められます。

よくある誤解

「利益が出ているなら昇給余力はある」 という読み方は雑すぎます。利益は人件費を引いた後の数字なので、利益が出ていること自体は分配の余地の有無を示しません。見るべきは、人件費を含む付加価値の側がどう動いたかです。

「労働分配率が低い会社は従業員に還元していない」 も一面的です。付加価値が大きく伸びた年は、人件費を増やしても分配率は下がります。分配率の水準ではなく、1人あたり人件費と分配率を合わせて見る必要があります。

「昇給が業界平均より低いのは会社がおかしい」 とも言い切れません。改定率は企業ごとの1人平均であり、個人の昇給の分布ではありません。等級の位置や評価によって個人差が出るのは制度として想定されています。確かめるのは自社の制度の中で説明がつくかどうかです。

「原資がないなら何もできない」 も違います。原資が縮んでいる期にできることは、昇給を押すことではなく、等級要件の確認と記録の整備、そして社外の条件を並べることです。昇給が出ない理由が会社の構造にあると分かった時点で、エンジニアの年収が上がらない構造的な理由で扱っている論点に移ります。

まとめ

  • 昇給が小さい理由は「原資がない」と「配られていない」に分かれる。決算で切り分けられるのは前者
  • 見るのは人件費、従業員数、付加価値の3つ。1人あたりに直し、3期以上並べる
  • 自分の昇給額は情報通信業の改定率 3.9% と改定額 14,096円/月 に並べ、規模の区分も合わせて見る
  • 定期昇給とベースアップを区別する。ベースアップがない年の賃上げは余力の増加を意味しない
  • 余力があるのに昇給が小さいなら、問題は等級と評価の枠。企業タイプ由来の差は配分では埋まらない