フリーランスや業務委託から正社員に戻るとき、提示される年収は、直前の月額単価から逆算されるわけではありません。決めているのは応募先が持っている等級ごとの給与レンジと、そのどこに置くかという判断です。単価が高かったことはレンジの上側に置く理由にはなりますが、レンジそのものを押し上げる材料にはなりません。
先に結論を書くと、単価を年収に換算した金額と、同じ経歴の正社員の推定レンジは重なりません。差が出ること自体は制度上の当たり前で、確かめるべきは差の大きさではなく、その差が何と引き換えになっているかです。ここを説明できないまま提示を見ると、実質では変わっていない条件を「大幅に下がった」と受け取ってしまいます。
単価換算と正社員推定は、同じ経歴でもここまで離れる
実務6〜9年、東京勤務、上場・大手、スキル上位(スコア70)という条件をそろえて、雇用形態だけを入れ替えるとこうなります。
- 正社員として働く場合:686〜805万円
- 業務委託として働く場合:926〜1,087万円
中央値で比べると 261万円 の差になります。経歴もスキルも勤務地も同じで、変えたのは雇用形態だけです。つまりこの差は、あなたの市場価値が下がったから生まれるものではなく、報酬の受け取り方が変わったことによる構造上の差です。当サイトの推定に使っている業務委託の係数も、掲載案件の月額平均単価 78.3万円/月 をそのまま12倍せず、稼働率と経費を見込んで保守的に置いた値です。
注意したいのは、この差が「正社員に戻ると261万円損をする」という意味ではないことです。業務委託側の金額は、社会保険料の自己負担も、案件が切れた月も、確定申告の手間も、すべて自分で引き受けたうえでの数字です。何が含まれ、何が含まれていないかを分けないと比較になりません。
差の中身は「会社が負担している費用」と「稼働の保証」
差の大部分は、正社員になると会社側が負担する費用と、収入が途切れないという保証に置き換わっています。厚生年金と健康保険の保険料は労使で分け合う形になり、国民年金・国民健康保険を全額自己負担していた状態からは負担の形が変わります。有給休暇や、案件と案件のあいだの空白期間に相当する時期にも給与が出ます。
具体的には、業務委託で年間を通して同じ単価を維持できた月がいくつあったかを思い出してください。契約の更新月に稼働が半分になった、次の案件が決まるまで1か月空いた、といった期間があれば、その分は単価の12倍という計算には最初から入っていません。単価と年収を比べる作業は、この「入っていない部分」を戻す作業です。
一方で、正社員側にも表示されない負担はあります。就業時間の拘束、担当以外の業務、異動の可能性などは金額に出てきません。金額に表れる差と、働き方として引き受ける差は別に数えてください。両方をまとめて「年収が下がった」と表現すると、判断の材料が混ざります。
契約類型ごとの責任範囲の違いは、準委任と請負の違いと手取りの考え方で扱っています。準委任で稼働時間に対して報酬を受け取っていたのか、請負で成果物に対して受け取っていたのかによって、正社員の職務内容に読み替えたときの説明の仕方も変わります。
提示額を決めている4つの材料
提示額は、直前の収入ではなく次の4つから組み立てられます。
| 材料 | 何を見られるか | 応募側の準備 |
|---|---|---|
| 応募先の等級レンジ | 募集ポジションが社内の何等級か | 求人票のレンジと等級の対応を確認する |
| 実務経験年数 | 委託期間を含めて何年相当か | 案件ごとの役割と期間を書き分ける |
| 担当してきた判断の範囲 | 実装だけか、設計や選定も含むか | 決めた内容と理由を説明できるようにする |
| 応募先の企業タイプ | 事業の利益率と商流の深さ | 応募先を選ぶ段階で決める |
この表は上から順に効き方が違います。1つ目の等級レンジは、応募した時点で上限が決まっている枠です。2つ目と3つ目は、その枠の中でどこに置かれるかを動かします。4つ目だけは選考ではなく応募先の選び方の問題で、選考が始まったあとには動かせません。
表に当てはまらないのは、募集自体が等級を持たない場合です。人数の少ない会社では、等級表が整備されておらず、経営判断で個別に金額が決まることがあります。その場合は表の1つ目が存在しないので、代わりに「入社後にどういう基準で見直されるのか」を確認する必要があります。基準が示されないなら、提示された現時点の金額だけで判断してください。
委託期間も実務経験年数として数えられる
経験年数の評価では、雇用形態そのものより、何を担当していたかが見られます。委託で3年働いた期間が、正社員の3年と同じ重みで数えられることは珍しくありません。判断されているのは在籍の形式ではなく、担当した範囲と、そこで自分が決めていた事柄の量だからです。
ただし、短期の案件が並んでいるだけの経歴は、担当範囲が伝わらず低めに見積もられることがあります。案件名と期間だけを並べると、読み手にはどこまで任されていたのかが分かりません。設計に関与したのか、実装のみだったのか、レビューをする側だったのかを案件ごとに書き分けると、同じ年数でも読まれ方が変わります。書き方の具体例は職務経歴書で年収の根拠を示す書き分けにまとめています。
経験年数が提示額にどう効くかは、年数の帯をまたぐ瞬間に大きく動きます。実務3〜5年と6〜9年では推定の中央値がはっきり変わるため、委託期間を含めて数えるかどうかが1つの帯の差になることもあります。年数ごとの伸び方は経験年数別の年収相場で確認できます。
企業タイプの選び違いは、経歴では取り返せない
同じ実務6〜9年・東京・スキル上位という条件で、企業タイプだけを変えるとこうなります。
| 企業タイプ | 推定レンジ | レンジの図 |
|---|---|---|
| メガベンチャー・外資 | 780〜915万円 | |
| 上場・大手 | 686〜805万円 | |
| 中小の受託・SIer | 593〜696万円 | |
| スタートアップ | 624〜732万円 | |
| SES | 530〜622万円 |
上端と下端で、雇用形態を変えたときの差に近い開きがあります。これは事業の利益率と商流の深さから来る構造の差で、面接での説明や交渉では埋まりません。委託時代に高い単価を取れていた人ほど、応募先の幅を狭めて「単価に近い金額を出せる会社」を探す必要があります。
表の読み方で気をつけたいのは、これが同じ職務内容を前提にした比較ではないことです。企業タイプが変われば、担当する範囲も、扱う技術の幅も、意思決定の深さも変わります。金額だけを見て上端の企業タイプに応募しても、求められる役割が合っていなければ選考は通りません。企業タイプごとの中身の違いは企業タイプ別の年収相場を参照してください。
また、この表は勤務地を東京に固定しています。フルリモート前提で戻る場合は前提が変わるため、そのまま当てはめないでください。委託でリモート案件を続けていた人は、正社員でも同じ働き方を維持できるかを、金額とは別に確認する必要があります。
単価と年収を比べるときの換算手順
比較を成立させるには、業務委託側の金額を正社員の年収に近い形へそろえます。順番は次のとおりです。
- 直近12か月の実際の入金額を合計する(単価の12倍ではなく実績)
- 経費として計上していた金額のうち、正社員になれば会社が持つものを引く
- 国民健康保険料と国民年金保険料の自己負担分を引く
- 賞与、退職金制度、有給休暇の有無を、正社員側の条件として書き足す
3の社会保険料は、正社員になると労使で分け合う形に変わるため、単純に消えるわけではありません。給与から控除される分は残ります。手取りへの影響は前年所得や家族構成でも変わるので、具体的な税額の見積もりが必要なら税理士に確認してください。この記事では制度の形だけを扱います。
4を書き足すと、表示額の差がそのまま実質の差ではないことが見えてきます。賞与が年2回ある会社であれば、提示された年収の一部は変動する部分です。逆に賞与の比率が高い設計では、業績によって受取額が動くため、業務委託時代の「案件が切れると減る」構造と近い性質が残ります。確定している部分と変動する部分を分けて比べてください。
数字を並べたあとに残るのは、稼働率の前提です。委託時代に稼働率を高く維持できていた人ほど、換算後の金額は正社員の提示額に近づきます。逆に稼働の谷があった年を基準にすると、正社員側が有利に見えます。どの年を基準にするかで結論が変わる比較なので、複数年を並べるのが安全です。単価と年収の比較の詳細はフリーランス単価を年収と比べる方法で扱っています。
下がって見えても実質は下がっていない項目
提示額が委託時代の換算額を下回っていても、次の項目は正社員側に足されています。まず、稼働が落ちた月にも給与が出ることです。委託では稼働時間や成果物に対して報酬が発生するため、体調を崩した期間や案件の切れ目は収入がそのまま減ります。正社員ではこの変動が給与には直接現れません。
次に、事務にかかっていた時間です。請求書の作成、契約書の確認、確定申告の準備に使っていた時間は、単価には反映されていない実質的なコストでした。これらがなくなる分、同じ年収でも自由に使える時間は増えます。金額に換算しにくい項目ですが、比較のときに落とさないでください。
3つ目は、毎年の賃金改定という仕組みです。情報通信業では定期昇給制度がある企業の割合が 89.6%、1人平均賃金を引き上げた企業の割合が 97.4% でした。委託の単価は契約更新のたびに交渉し直す必要がありましたが、正社員には制度としての見直しが乗ります。もっとも、改定率そのものは情報通信業で 3.9% であり、大きく戻す力があるわけではありません。制度がある、という以上のことは期待しないでください。
それでも実質が下がるケース
一方で、実質でも下がる場合があります。典型は、入社時の等級を低めに置かれたまま、昇格の要件が示されないケースです。等級の帯が変わらなければ、定期昇給は帯の中の移動にとどまります。委託時代の水準に戻すには帯そのものを上げる必要があるのに、その道筋が説明されないなら、戻る前提が成り立ちません。
次に、固定残業代を含んだ提示です。提示額の一部が一定時間分の残業代で構成されている場合、所定内の給与は見た目より小さくなります。委託時代の実質時給と比べるなら、この内訳を分けたうえで計算する必要があります。計算の手順はみなし残業を実質時給に換算する方法で扱っています。
3つ目は、担当範囲が委託時代より狭くなる場合です。委託で設計や技術選定まで任されていた人が、実装だけを担当するポジションに入ると、次の等級に上がるための実績が積みにくくなります。金額が同じでも、その後の伸び方が変わるという意味で実質は下がります。入社後1年で何を任されるのかを、提示額と同じ重さで確認してください。
入社時の等級をどこに置くかが最大の分岐
戻るときに最も効くのは、入社時にどの等級へ置かれるかです。ここで一段低く入ると、その後の昇給は帯の中の移動になるため、追いつくまでに時間がかかります。逆に妥当な等級で入れれば、同じ会社の同じ制度の中でも到達点が変わります。
等級を判断する材料になるのは、委託時代に自分が決めていた事柄です。技術選定の理由を説明できるか、障害対応で判断を下した経験があるか、他のメンバーの成果物をレビューしていたか。こうした内容は、実装量よりも等級の判定に効きます。等級制度の読み方は等級・グレード制度と昇格の条件にまとめました。
注意点として、等級の交渉は提示が出たあとに行うものです。選考の途中で金額や等級を押すと、条件だけを見ている応募として扱われます。提示を受けてから、担当する役割が社内の何等級に当たるのかを確認し、そのうえで根拠を出す順番になります。進め方は年収交渉で通る根拠を参照してください。
面談で確認しておく項目
戻ることを決める前に、次の項目を確認しておくと判断の材料がそろいます。
- 提示額の内訳(基本給、固定手当、固定残業代の有無と時間数、賞与の位置づけ)
- 入社時の等級と、その等級の給与レンジの上限
- 昇格の要件と、判定が行われる時期
- 入社後1年で任される範囲と、その先に想定されている役割
- 委託期間を実務経験年数としてどう数えているか
これらは選考の最終盤ではなく、条件が出た段階で聞くのが自然です。等級や昇格要件を聞くことは、金額を押すこととは違います。むしろ、入社後にどう伸ばすつもりかを確認する質問として受け取られます。回答が曖昧なままなら、その運用自体が入社後の見通しを示しています。
カジュアル面談の段階でどこまで踏み込めるかは、カジュアル面談で年収と等級をどこまで確認できるかで扱っています。選考前の面談では制度の枠組みまで、提示後の面談では自分の位置まで、という段階の分け方が現実的です。
戻ったあとに年収を戻す道筋
入社直後の提示額が委託時代の換算を下回っていても、そこで固定されるわけではありません。動かせるのは等級と、その等級の中での位置です。まず入社後の最初の評価サイクルで、何を達成すれば次の等級の要件を満たすのかを上長と共有します。要件が明文化されている会社なら、そこに合わせて担当範囲を寄せていけます。
現実的な速度も見ておく必要があります。情報通信業の1人平均賃金の改定額は月額で 14,096円/月 でした。これは所定内賃金の月額ベースで、賞与と割増手当を含みません。定期昇給だけで大きく戻すのは難しく、戻すなら昇格か、もう一度の転職という選択になります。昇給と転職のどちらが速いかは定期昇給と転職の損益分岐で比較しています。
短期間で辞めて再び動くことには副作用もあります。転職回数が増えると、選考で在籍期間の理由を説明する場面が増えます。戻ってすぐに次を探す前提で入るより、入社時の等級を妥当な位置に置くことに労力を使うほうが、結果として速いことが多いです。回数の扱いは転職回数と年収の関係にまとめています。
よくある失敗
最も多いのは、直前の単価の12倍をそのまま希望年収として伝えてしまうことです。掲載案件の月額平均単価は 78.3万円/月 ですが、これは稼働率100パーセント、経費ゼロ、社会保険料の自己負担ゼロを前提にした金額です。この数字を年収の希望額として出すと、条件がかみ合わないまま選考が止まります。
次に多いのが、求人票のレンジの上限だけを見て応募することです。求人票に書かれたレンジは複数の等級をまたいでいることがあり、上限は最上位の等級の値です。自分がどの等級で採用されるのかを確認しないまま上限を前提に話を進めると、提示の段階で食い違います。レンジの読み方は求人票の年収レンジの読み方で扱っています。
3つ目は、市場の状況を確認せずに時期を決めることです。情報処理・通信技術者の有効求人倍率は 1.39倍(令和8年3月) で全職業の 1.1倍 を上回っていますが、新規求人数は前年同月比で -16.3% と減っています。募集が出ている職種であることと、いま募集が増えていることは別です。急いで決める理由がないなら、応募先の幅が広い時期を選ぶほうが、等級の交渉余地も広がります。
まとめ
- 提示額は直前の単価ではなく、応募先の等級レンジとその中の位置で決まる
- 同条件で比べた単価換算と正社員推定の中央値の差は261万円。これは構造の差で、社会保険料の負担と稼働の保証に置き換わっている
- 実質でも下がるのは、等級を低く置かれたまま昇格要件が示されない場合と、固定残業代の内訳が不明な場合
- 戻したいなら、定期昇給ではなく昇格の要件と判定時期を入社前に確認する