退職金の前払い選択制がある会社で、前払いを選ぶべきか、退職時にまとめて受け取るべきか。結論から言うと、どちらが一律に得ということはなく、勤続の見込み、辞め方、前払い分の支給の形、税と社会保険料の扱い、前払い分を自分で積み立てられるか、の5つの条件で有利な側が変わります。特に、転職を前提にキャリアを考えることが多いエンジニアは、勤続年数の見込みによって判断が大きく変わります。

前払い選択制は、会社が退職金として積み立てる分を、今の給与や賞与に上乗せして受け取るか、これまでどおり退職時の退職金として受け取るかを、社員が選べる仕組みです。求人票では「退職金前払い制度あり」「退職金は前払い選択可」のように書かれることがあります。本記事では、前払い選択制の仕組み、比べるときの5つの条件、転職が多い人にとっての考え方、オファーの比較での扱い、選ぶ前に確認する質問を整理します。

前払い選択制は「今の給与」と「将来の退職金」の選択

前払い選択制を理解するときは、同じ原資を、いつ、どの形で受け取るかの選択だと考えると整理しやすくなります。会社が退職金のために用意している分を、在職中に少しずつ受け取るか、退職時にまとめて受け取るかの違いです。

観点 前払いを選ぶ 退職時に受け取る
受け取る時期 在職中、給与や賞与と一緒に 退職したとき
受け取る形 給与の一部として扱われることが多い 退職金として扱われる
勤続年数の影響 在職した期間の分をその都度受け取る 勤続年数に応じた計算になることが多い
辞め方の影響 受けにくい 自己都合などで減額される制度がある
使い道 自由に使える分、使ってしまうおそれもある 退職まで手をつけられない

前払いを選ぶと、毎月や毎年の額面は増えます。一方、退職時にまとめて受け取る場合は、在職中の額面は増えませんが、勤続年数に応じた退職金を受け取れます。どちらの形でも、会社が用意する原資の考え方は同じでも、実際に手元に残る額は、辞めるまでの年数、辞め方、税金や社会保険料の扱いによって変わります。

注意したいのは、前払い分の金額が、退職時に受け取れる退職金を年数で割った額と一致するとは限らない点です。前払いの額をどう決めているかは会社の制度によって違うため、同じ期間勤めた場合に、どちらの受け取り方でいくらになるかを規程で確かめる必要があります。

退職給付制度の現状を押さえる

前払いを考える前提として、退職給付制度がどのくらいの会社にあるかを確認しておきます。厚生労働省の調査では、情報通信業で退職給付(一時金・年金)制度がある企業の割合は 74.6%(令和5年(2023年)) です。

制度の形もさまざまです。情報通信業では、退職一時金制度のみの企業の割合が 48.5%(令和5年(2023年))、一時金と年金を併用する企業の割合が 33.9%(令和5年(2023年)) です。また、退職年金制度がある企業のうち、確定拠出年金(企業型)を使う企業の割合は 50.3%(令和5年(2023年)) です。

この数字から分かるのは、退職金の制度そのものがない会社もあり、制度がある会社でも、一時金、年金、確定拠出年金の組み合わせが会社ごとに違うということです。前払い選択制は、こうした制度の一部として置かれていることがあります。退職金や企業型DCを含めた生涯賃金での比べ方は退職金・企業型DCまで含めた生涯賃金での比較で整理しています。なお、これらの調査は前払い選択制の普及率を示すものではないため、前払いがどのくらいの会社にあるかは、この数字からは分かりません。

条件1:その会社に何年勤める見込みか

1つ目の条件は、その会社に何年勤める見込みがあるかです。退職金は、勤続年数が長いほど有利になるように設計されていることが多いため、見込む勤続年数によって、前払いと退職時の受け取りのどちらが有利かが変わります。

厚生労働省の調査で、大学・大学院卒の定年退職者の退職給付額を勤続年数別に見ると、勤続20〜24年は 1,021万円、25〜29年は 1,559万円、30〜34年は 1,891万円、35年以上は 2,037万円(令和4年(2022年)の退職者) です。勤続年数が長いほど金額は大きく、特に勤続20年台では、年数の伸び以上に金額が増えています。

これは、長く勤めるほど退職時の受け取りが有利になる設計が多いことを示しています。反対に、数年で転職する見込みが高い場合、退職時の受け取りでは、勤続の短さの分だけ受け取れる額が小さくなりやすくなります。この場合、在職した期間の分をその都度受け取れる前払いのほうが、受け取りの総額で有利になることがあります。ただし、この調査は定年まで勤めた人の数字で、途中で辞めた人の額を直接示すものではありません。

条件2:辞め方によって退職時の額が変わるか

2つ目の条件は、辞め方によって、退職時に受け取れる額が変わる制度かどうかです。退職金の制度では、定年、会社都合、自己都合などの辞め方によって、支給の率を変えていることがあります。

同じ調査で、大学・大学院卒(管理・事務・技術職)の退職給付額を辞め方別に見ると、定年退職は 1,896万円(令和4年(2022年)の退職者)、会社都合は 1,738万円、自己都合は 1,441万円 です。これらは勤続年数などの条件を揃えた比較ではないため、差のすべてが辞め方による減額とは言えませんが、自己都合での退職の額が低い傾向は読み取れます。

転職で会社を移る場合、多くは自己都合の退職になります。自分の会社の規程で、自己都合の場合に退職金がどう計算されるかを確認すると、前払いを選ぶかどうかの判断材料になります。自己都合での減額が大きい制度であれば、転職の可能性がある人ほど前払いが合いやすくなります。減額がない、または小さい制度であれば、前払いとの差は小さくなります。

条件3:前払い分がどの形で支給されるか

3つ目の条件は、前払い分が、給与のどの部分に、どの形で上乗せされるかです。同じ前払いでも、支給の形によって、ほかの給与の計算への影響が変わることがあります。

前払い分は、毎月の給与に手当として上乗せされる形、賞与に加えて支給される形などがあります。毎月の給与に上乗せされる場合、その手当が残業代や賞与の計算の基礎に含まれるかどうかで、実際に受け取る額が変わります。含まれる制度であれば、前払いを選ぶことで残業代なども増える可能性があり、含まれない制度であれば、前払い分だけが増えます。

また、前払い分が給与の一部として扱われると、将来の昇給や、転職先での現年収の申告にも関わります。転職活動で現年収を伝えるとき、前払い分を含めた額を伝えるのか、除いた額を伝えるのかを明示しないと、応募先が提示額を考える際に誤解が生じることがあります。現年収の伝え方は転職で現年収をどう申告するかで整理しています。

条件4:税金と社会保険料の扱い

4つ目の条件は、前払いと退職時の受け取りで、税金や社会保険料の扱いがどう違うかです。ここは手取りに大きく影響する可能性がある一方で、個人の状況によって結果が変わるため、専門家に確認する必要がある部分です。

一般に、退職時にまとめて受け取る退職金と、在職中に給与として受け取る前払いでは、適用される税の仕組みが異なる場合があります。また、前払い分が給与として扱われる場合は、社会保険料の計算の対象に含まれることがあり、その分、毎月の手取りの増え方は額面の増え方より小さくなることがあります。社会保険料が変わると、将来受け取る年金などに影響する可能性もあります。

このため、前払い分の額面だけを見て「前払いのほうが多くもらえる」と判断するのは早すぎます。比べるときは、額面ではなく、税金と社会保険料を考慮した後の受け取りの見込みで比べる必要があります。会社の担当者に、前払い分の扱いについて説明を求め、個別の税額や手取りの計算は税理士などの専門家に確認してください。

条件5:前払い分を自分で積み立てられるか

5つ目の条件は、前払いで受け取った分を、使わずに将来のために積み立てられるかです。前払いは自由に使えるお金として手元に入るため、生活費に紛れて使ってしまうと、退職時に受け取るはずだった分が残りません。

退職時の受け取りには、退職まで手をつけられないことで、結果として資金が確保されるという側面があります。前払いを選ぶ場合は、この役割を自分で担う必要があります。前払い分と同じ額を別の口座に移す、あらかじめ積み立ての仕組みを決めておくなど、使ってしまわないための方法を用意しておくことが前提になります。

一方で、住宅の購入や子どもの教育など、近い時期にまとまった資金が必要な場合は、前払いで受け取ることで資金の計画が立てやすくなることもあります。どちらを選ぶかは、将来の資金の必要な時期と、自分で管理できるかどうかによって変わります。資金の運用に関わる具体的な判断は、必要に応じて専門家に相談してください。

転職が多いエンジニアにとっての前払い

エンジニアは、スキルや役割に応じて会社を移ることでキャリアを作る人が少なくありません。そのため、前払い選択制を考えるときは、今の会社に定年まで勤める前提ではなく、自分が見込む在籍の期間で比べることが大切です。

たとえば、今の会社で数年経験を積んでから、別の企業タイプへ移ることを考えているなら、退職時に受け取れる額は、勤続の短さと自己都合の扱いによって小さくなる可能性があります。この場合、在職中にその都度受け取れる前払いのほうが、受け取りの総額では有利になることがあります。反対に、今の会社で長く働き、管理職や専門職として等級を上げていく見込みがあるなら、退職時の受け取りの有利さを活かせることがあります。

ただし、将来の転職の見込みは変わるものです。入社時には長く勤めるつもりでも、数年後に状況が変わることは珍しくありません。受け取り方を途中で変更できる制度であれば、状況に合わせて見直せます。変更できない制度であれば、見込みが外れた場合の影響まで考えて選ぶ必要があります。

オファーを比べるときの扱い

複数のオファーを比べるとき、前払い退職金の扱いを誤ると、判断を誤ることがあります。給与、前払い分、退職時に見込める額を分けて並べるのが基本です。

たとえば、実務3〜5年、東京勤務、スキル中位の条件で、上場・大手の推定中央値は 578万円、スタートアップでは 525万円 です。退職金の制度がある会社と、制度がない会社を比べるとき、前払い分を含めた額面だけで比べると、退職時に受け取る形を選んだ場合の価値が見えなくなります。

比べる表では、給与と賞与を1行目、前払いを選んだ場合の上乗せを2行目、退職時に受け取る場合の見込み額と、その前提になる勤続年数を3行目に置きます。退職金の制度がない会社は、2行目と3行目が空欄になります。こうすると、額面の差と、退職金の制度の差を分けて判断できます。オファーの比較全般の手順はオファー面談で確認すべき条件で整理しています。

選ぶ前に確認する質問

前払い選択制を選ぶ前に、会社の担当者や規程で次の点を確認します。

  • 前払い分の金額はどう決まり、退職時の受け取りと比べてどう計算されているか
  • 前払い分は、毎月の給与、賞与のどちらに、どの名目で上乗せされるか
  • 前払い分は、残業代や賞与の計算の基礎に含まれるか
  • 自己都合で退職した場合、退職時の受け取りはどう計算されるか
  • 受け取り方は後から変更できるか、できるならいつか
  • 前払い分の税金と社会保険料の扱いについて、会社としてどう説明しているか

これらの答えが揃えば、自分が見込む勤続年数と辞め方で、どちらの受け取り方がどれくらいになるかを概算できます。答えが曖昧な場合は、規程の該当箇所を示してもらうように依頼してください。

よくある失敗

前払い選択制で起きやすい失敗は3つあります。1つ目は、前払い分の額面だけを見て判断することです。税金や社会保険料を考慮すると、手取りの増え方は額面の増え方より小さくなる場合があります。

2つ目は、定年まで勤める前提で退職時の受け取りを選び、数年で転職することです。勤続が短く、自己都合での退職になると、退職時に受け取れる額は想定より小さくなることがあります。見込む在籍の期間で比べることが大切です。

3つ目は、前払いを選んだのに、受け取った分を積み立てずに使ってしまうことです。退職時の受け取りがなくなる分、自分で資金を確保しなければ、将来に向けた備えが残りません。前払いを選ぶなら、受け取った分の行き先を先に決めておいてください。

まとめ

  • 前払い選択制は、同じ原資を在職中の給与として受け取るか、退職時の退職金として受け取るかの選択
  • 有利な側は、勤続の見込み、辞め方、前払い分の支給の形、税と社会保険料の扱い、自分で積み立てられるかで変わる
  • 退職金は勤続年数が長いほど有利になる設計が多く、転職の見込みが高いほど前払いが合いやすい
  • 税金と社会保険料の扱いは手取りに影響するため、個別の判断は専門家に確認する
  • オファーの比較では、給与、前払い分、退職時の見込み額を分けて並べる

退職金の受け取り方を考える前に、今の年収が同じ経歴のエンジニアの相場のどこにあるかを把握しておくと、オファーの比較の土台になります。