管理職への登用で年収が上がるか下がるかは、肩書ではなく 役職手当と基本給の増額分が、いま受け取っている時間外手当の年額を上回るかどうか で決まります。打診を受けた段階で確認できる数字は3つあり、そのうち2つは自分の給与明細から今日わかります。
順番に見ていきます。
結論:比べるのは肩書ではなく年額の3つの数字
昇進の打診で提示されるのは、多くの場合「役職手当がいくら付くか」だけです。しかし年収が動くかどうかを決めるのは、その手当と、失う時間外手当と、賞与の算定基礎の3つの組み合わせです。この3つを年額でそろえないまま「役職手当が付くから上がる」と受け取ると、実際の支給総額が前年を下回ってから気づくことになります。
比較の順序は、まず失うものを確定させ、次に増えるものを置き、最後に賞与の変化を足す、という形になります。失うものは確定した実績値なので正確に出せますが、増えるものは制度上の金額であり、賞与の変化は評価次第で幅があります。確度の高い数字から順に並べる と、どこに不確実性が残っているかがはっきりします。
残業代がなくならない場合もある
まず前提を整理します。管理職という社内の呼び方と、労働基準法上の管理監督者は別の概念です。管理監督者に当たると扱われた場合、時間外と休日の割増賃金の対象から外れますが、深夜の割増賃金は対象のまま残ります。社内で課長職と呼ばれていても管理監督者として扱われず、時間外手当が引き続き支給される運用の会社もあります。
したがって「管理職になる=残業代がゼロになる」と決めつけて計算を始めるのは早すぎます。打診の段階で、登用後に時間外手当の支給対象から外れるのかどうかを、就業規則と賃金規程のどの条文に基づくのかまで含めて確認してください。ここが曖昧なまま話が進む場合、入社時の条件確認と同じで、後から書面で覆すのが難しくなります。
なお、自分が管理監督者に当たるかどうかは、権限、勤務時間の裁量、待遇の実態から個別に判断される事柄です。この記事では制度上の一般的な扱いだけを説明します。実態と処遇が食い違っていると感じる場合は、労働基準監督署や社会保険労務士などの専門家に確認してください。
統計の「所定内給与」には残業代が入っていない
自分の位置を統計と比べるときは、その統計が残業代を含むかどうかを先に確かめる必要があります。賃金構造基本統計調査の所定内給与額は、残業代と賞与を含まない金額です。情報通信業の年齢計は 406千円/月、30〜34歳では 363.4千円/月、35〜39歳では 410.1千円/月 です。
一方、国税庁の民間給与実態統計調査は、残業代も賞与も含んだ年間の支給総額です。情報通信業の35〜39歳は 652万円、40〜44歳は 709万円 となっています。同じ業種の同じ年齢帯でも、月額の所定内給与を12倍した額と、年間の支給総額が一致しないのはこのためです。
この違いは、昇進の判断でそのまま効いてきます。時間外手当がなくなるという変化は、所定内給与ベースの統計にはまったく現れません。 所定内給与の統計だけを見て「同年代より高いから問題ない」と判断すると、支給総額の減少を見落とします。比べるときは、支給総額どうし、あるいは所定内どうしでそろえてください。
確認する3つの数字
打診を受けたら、次の順で数字を埋めます。
- いま受け取っている時間外手当の年額 — 直近12か月分の給与明細を合計する。月額の平均ではなく年の合計で見る
- 役職手当と基本給の増額分の年額 — 提示された月額を12倍する。手当が賞与の算定基礎に入るかどうかも同時に聞く
- 賞与の算定基礎と支給月数の変化 — 等級が変わることで基礎額と月数のどちらが動くのかを確認する
1つ目が最も重要で、かつ最も見落とされます。月の給与明細では時間外手当は数万円の行にすぎませんが、年で合計すると役職手当の年額に匹敵する規模になることがあるためです。繁忙期のある職場では月ごとの振れが大きいので、平均月額を12倍するのではなく、実際の12か月分を足してください。
2つ目で確認したいのは、金額そのものより その手当が賞与の算定基礎に入るか です。基礎に入るなら手当の増額は賞与にも波及しますが、基礎に入らない役職手当だけの増額であれば、増える分は月額の12か月分で頭打ちになります。同じ月額の提示でも、この一点で年間の差が変わります。
3つ目の賞与は幅を持って考えます。等級が上がると支給月数の上限が増える一方、評価の分布が上位等級ほど厳しくなる会社もあります。支給月数の上限ではなく、直近の実績の中央値がどう変わるか を聞くのが実務的です。上限だけを聞くと、最も条件のよい仮定で計算してしまいます。
実質時給でそろえて比べる
支給総額が同じなら損はしていない、とは限りません。管理職は所定労働時間の枠外で動く場面が増え、時間外手当という形での上限がなくなる分、労働時間が伸びやすくなります。総額が横ばいで時間が増えれば、時間当たりの単価は下がります。
比べ方は単純で、年間の支給総額を年間の実労働時間で割った額を、昇進前と昇進後の見込みで並べるだけです。昇進後の労働時間は確定していないので、現状のまま、いまの管理職と同程度、その中間、という三通りを置いて幅で見ます。計算の手順はみなし残業を実質時給に換算する方法と同じ考え方で、固定的な手当が労働時間の増加をどこまで吸収できるかを見る作業です。
同じ論点は裁量労働制でも起きます。制度は違いますが、時間で賃金が増えなくなるという点は共通しているため、裁量労働制の年収の見方もあわせて確認すると、自社の制度がどちらの性質に近いか整理できます。
経験年数別のレンジのどこに乗るか
管理職登用の打診が来る時期は、実務経験でいえば中堅以降に集中します。同じ東京勤務・上場企業・スキル中位という条件で、経験年数だけを変えるとレンジはこう動きます。
| 実務経験 | 推定レンジ | レンジの図 |
|---|---|---|
| 未経験 | 340〜399万円 | |
| 1年未満 | 383〜449万円 | |
| 1〜2年 | 425〜499万円 | |
| 3〜5年 | 531〜624万円 | |
| 6〜9年 | 638〜748万円 | |
| 10年以上 | 723〜848万円 |
表の読み方には注意が必要です。この推定は経験年数、企業タイプ、勤務地、スキルスコアから出しているもので、役職の有無を変数として持っていません。 つまり管理職手当の分が上乗せされた金額ではなく、その経験年数の人が一般的に置かれるレンジです。管理職への登用は、このレンジの中で上側に移る動きに近く、レンジそのものを飛び越える動きではないことが多くなります。
適用できないケースもあります。役員に近い階層まで上がる場合や、報酬の大半が賞与や株式で構成される会社では、この表の前提から外れます。逆に、役職手当が小さく残業代の比重が大きかった職場では、登用直後に表の下側へ寄ることも起こり得ます。
逆転が起きやすい条件、起きにくい条件
支給総額が下がる、いわゆる逆転が起きやすいのは、時間外手当の比重が大きかった人です。繁忙な受託開発や運用の現場で毎月一定の時間外労働が常態化していた場合、失う額が大きいため、標準的な役職手当では埋まりません。商流の下側ほどこの傾向が出やすく、一次請けと二次請けの年収差で扱った構造とも重なります。
逆に、もともと時間外労働が少なく、みなし残業として固定額が支給されていた職場では、逆転は起きにくくなります。固定額の分は役職手当に置き換わる形になり、差し引きの計算が単純になるためです。この場合に確認すべきは、置き換えの結果として基本給が据え置かれていないか、つまり みなし残業分が消えて役職手当に名前が変わっただけになっていないか という点です。
判断を分けるのは、結局のところ失う額の大きさです。同じ会社の同じ役職でも、部署によって時間外労働の実績が違えば、昇進が増収になる人と減収になる人が同時に出ます。他部署の先輩が「上がった」と言っていたことを、自分の場合の答えとして使えません。
会社に確認しておく質問
打診の場では、次の点を確認しておくと後の齟齬が減ります。
- 登用後、時間外手当の支給対象から外れるのか。根拠は賃金規程のどの条文か
- 役職手当は賞与の算定基礎に入るか
- 等級が変わるか。変わる場合、次の等級の要件は何か
- 深夜や休日の対応が発生した場合の扱いはどうなるか
- 役職を離れたときに、手当と等級がどう戻るか
最後の項目は聞きにくい内容ですが、組織変更で役職が変わることは珍しくありません。役職手当は役職に付くもので、いったん上がった年収が固定されるわけではない という前提を、双方で確認しておくほうが健全です。等級が上がっていれば役職を離れても基本給は残りますが、手当だけが根拠の増額であれば元に戻ります。
これらを口頭で聞いたあと、金額と等級については書面で確認できる形にしてもらいます。転職時のオファー確認と同じで、条件が確定するのは口頭のやり取りではなく、書面に反映された時点です。
昇給の原資という前提も見ておく
昇進の判断は、その会社の昇給がどう決まっているかという文脈の中にあります。情報通信業で定期昇給制度がある企業の割合は 89.6%、昇給の内容が業績評価などによる企業は 85.9% です。年齢や勤続で自動的に上がる仕組みより、評価で配分する仕組みのほうが多数を占めています。
改定率で見ると、情報通信業の1人平均賃金の改定率は 3.9% で、全産業計の 4.4% を下回りました。引き上げ自体は広く行われていて、1人平均賃金を引き上げた企業の割合は 97.4% に達します。つまり 在籍しているだけで動く幅は毎年一定程度あるが、その幅は大きくない という前提で、昇進による増額を評価することになります。
この前提を踏まえると、昇進で増える分が定期昇給の一年分と同程度にとどまるなら、役割の重さに対して増額が見合っているかを考える余地があります。逆に、昇進が等級の変更を伴い、次の評価サイクル以降の伸び方まで変わるのであれば、初年度の金額だけで判断すると過小評価になります。
役割の選択としても見る
金額の話とは別に、管理職への登用は担当する仕事の中身が変わる選択でもあります。技術で成果を出す道と、組織で成果を出す道のどちらを選ぶかという論点は、テックリードとマネージャーの年収で扱っています。年収だけで決めると、数年後に戻りにくい位置に来ていることがあります。
判断の材料として有効なのは、その会社で技術側のキャリアがどこまで用意されているかです。等級制度の上位に技術専門職の枠があり、そこに実際に人が在籍しているなら、管理職を経由しない道が機能しています。枠が制度上あるだけで在籍者がいない場合、実質的には管理職以外の昇格ルートがないと考えたほうが実態に近くなります。制度の見方は等級・グレード制度と昇格の条件にまとめています。
そのうえで、断る、あるいは時期をずらす選択も現実的な選択肢です。役割そのものは引き受けられるが処遇の条件が合わない、という状態であれば、条件のどの部分が合わないのかを具体的に伝えるほうが、単に辞退するより話が進みます。
社内で埋まらないときの見方
確認した結果、増額が失う時間外手当を埋められず、等級の変更も伴わないのであれば、それは自社の賃金制度が持つ構造の問題です。個人の交渉で動く範囲を超えていることが多く、同じ役割の市場価値と比べる作業に移ります。市場のレンジは経験年数だけでなく企業タイプの影響を強く受けるため、経験年数別の年収相場で自分の条件を固定して確認してください。
比較の結果として社内に留まる判断も十分あり得ます。管理職の経験は次の選考で評価される要素であり、初年度の金額が横ばいでも、数年単位で見れば選択肢が広がることがあります。その年の支給額と、数年後の選択肢の広さを分けて考える と、目先の増減だけで結論を出さずに済みます。
いずれにしても、判断の材料は数字にしておきます。時間外手当の年額、提示された手当の年額、賞与の変化、そして労働時間の見込み。この4点が埋まっていれば、上がるか下がるかは計算で出ます。埋まらない項目が残っている段階で返事をすると、確認できたはずのことを推測で埋めることになります。
まとめ
- 昇進で年収が上がるかは、役職手当と基本給の増額の年額が、いま受け取っている時間外手当の年額を上回るかで決まる
- 確認するのは時間外手当の年額、増額分の年額、賞与の算定基礎の変化の3点。手当が賞与の基礎に入るかで年間の差が変わる
- 所定内給与の統計には残業代が含まれないため、支給総額どうしでそろえて比べる。総額が同じでも労働時間が増えれば実質時給は下がる